食事提供と栄養士の役割
今ではそういうところは少なくなってしまっているのだと思いますが、私が3年生まで過ごした小学校では、校内に厨房があり、大きな釜で、大きなしゃもじで調理をされる「給食の先生」たちがいました。
授業の一環として調理をするところを見学させてもらったり、休み時間にこっそり見に行ったり。お昼が近づくと学校中にいい匂いがして、熱々の食缶を気を付けて運び、空になった食缶は給食の先生たちの顔を見ながら「ありがとうございました!」と返却していました。
保育所の栄養士として働くようになった時には、今度は「給食の先生」と呼ばれる立場になり、こそばゆいような気分でした。献立作成用のパソコンもプリンターもない状態(笑!)からのスタートで苦労はしたけれど、パートではあったものの、他の先生たちは「同僚」だったし、子どもたちは(先生たちも…)どれがおいしかったとか、これはあんまり好きじゃなかったとか、今度はこれを食べたい!とかネガティブなことだけではない、いろんなフィードバックをくれました。私もはりきって、野菜の量を大幅に増やしたりして工夫しました。
違和感を感じたのは、病院で給食受託会社の管理栄養士として責任者をしていた時。結局、給食会社の調理スタッフのミスではなかったのですが、病院栄養士と一緒にクレーム対応に当たったところ、患者さんと家族が、給食会社の契約社員の私をにらみつけて放った言葉は、「給食会社が作っているんでしょう?あなたたちをひねりつぶすのなんて、簡単なんだから!」
病院栄養士は「栄養士の先生」だけど、給食会社で働く人は、この患者さんにとっては、たとえ自分の食事を汗だくで用意しているとしても、見下していい相手なんだな、と感じました。
より深刻な状況だったのは、別の給食会社、別の病院でのことです。入ったばかりの私は、病院栄養士に栄養士同士の雑談として話しかけていたら、即刻、病院栄養士になにか話があるときは、給食会社の責任者を通すようにと注意されました。実際、病院栄養士と給食会社の関係はびっくりするほどひどいもので、厨房で調理スタッフが重いまな板を足に落として悲鳴を上げた時、病院栄養士たちはガラス越しに目が合ったにもかかわらず、だれ一人、声も掛けなかったそうです。病棟に上がるのはほとんどクレーム対応の時のみ。病棟でも厄介者みたいに冷たい視線を受けるばかりでした。
ごはんを作ってくれる人ではなくて、使用人。栄養療法を一緒に支えるチームではなく、下請け会社の使用人。
栄養指導と、食事提供が切り離されて、人間同士の同僚ではなく、使用人とお客様になってしまう、給食会社というものの危険性を強く感じました。
最近、久しぶりに「現場」つまり厨房で、喫食者の顔が見える学生スポーツへの食事提供を担う給食会社のパートとして働きだしてみました。やっぱり現状、喫食者の大人も「同僚」や「ビジネスパートナー」ではないし、それを見ている学生の意識も「給食の先生」とは程遠いのではないかなぁと感じます。
食べる人も、作る人も、人間。
自分の口に入れるもの、体を作るものを作る人に、なんの興味も敬意も示せないようでは、本当に自分に必要な「栄養」を取り入れることはどんどん難しくなるのではないでしょうか。
もちろん、調理・配膳してくれる人に限らず、生産・流通に関わる全ての人に関しても。
栄養「教育」をするのが仕事の管理栄養士としては、自分の食べるものを人任せにしない第一歩として、ごはんを作ってくれる人にきちんと人間同士として向き合って、自分に必要な栄養を取れる食事を快く用意してもらえるような喫食者になれるよう、ちょっとづつ、仕掛けをしていきたいな…と思うところです。
そういうことを教育しないといけない立場なのに、食事提供や調理に関わる人たちを見下すことしかできない栄養士・管理栄養士は、マジで最悪だと思う。
栄養士が関わる食事提供である以上、「おいしかったといって全部食べてくれました、うれしかったです」というだけのレベルの「サービス」であってはいけないんじゃないか、ということを以前のブログにも書いています。ご参考まで↓
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